1980年初頭でANGのインシグニアから機体ナンバーまで黒文字になっている。戦闘機の航空団でさえ、まだまだ白レターが多かった時代であるので、戦術偵察部隊として一早く空軍の方針を取り入れた部隊と言える。只、機体の注意書きや国籍マークは以前のままである。
ボイジー市は、たった19万しか人口のない州都であった。友人はボイジーと発音すると思っていたのだが、現地のテレビ放送では「ボイシー」とアナウンスされており「ここでは、ボイシーと発音するのか」と驚いた様子だった。英語の不得意な私は、そのようなことは全く関心がなかったが、アメリカも広いので地方独特の発音があるそうである。資料によれば、昔金鉱があってそれを管理していた陸軍の砦がフォート・ボイジーと呼ばれていた事から、この名前になったとのこと。こんな辺鄙な場所に人が集まるのは何か理由があるはずだ。ここの金鉱は、以前は相当な埋蔵量を誇ったと言うから、1800年代のゴールドラッシュによる西部開拓の歴史の一場面として、此処にも金を求めて多くの人が集まったのが町ができた由来のようだ。2006年頃から、今度は住宅建設のバブルが膨らみ人口が急激に増えたとある。一時は市周辺も合わせ54万人にもなったと言うから、リーマンショック以降またどうなったのか興味のあるところだ。(2011/12記)
当時 ボイジー空港のゲートガードとして飾ってあったF-102、アイダホ州空軍の使用機だった。
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RF-4's Page
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1980年3月アイダホ州の州都ボイシーの空港に立ち寄った。マウンテンホーム空軍基地に行くついでに、時間潰しに空港で民間機でも撮って行こうかと軽い気持ちで立ち寄ったのだが、それ迄この地にANGの偵察機部隊がいることを知識として持っておらず、曇り空の中次々にエプロンから出てくるRF-4Cに驚いた。ランウェイエンドから見た空港は、それ程大きい空港では無かった気がするが、実際はかなり大きな敷地面積を持つ空港らしく、現在A-10に機種変更した第190戦闘機航空団に変わってからA-10の射撃競技会も行っている。
 RF-4CからF-4Gに変わった時点で、190th TRSは190th TFSに変更になり完全な戦闘集団に様変わりし、現在はA-10の部隊として州空軍と言えど大きな役割を担ってきている部隊である。(2011/12記) 
ボイジー空港といっても、敷地のほとんどは空軍基地の領域で、民間空港のターミナルは北西の一部だけ。ランウェイの向こう側はシェラカスケード山脈で雪景色である。1980年当時は、周辺に殆ど家等なかったが、今では住宅地に囲まれた空港らしい。写真左手のランウェイエンドは写真が撮れる環境であるが、右手は当時海兵隊の兵器集積所になっており、一般人が入れる場所ではなかった。M-48等の古いタンクが並べてあった。